この話は、俺の知人”A” から聞いた話だ。
Aは大学を卒業してすぐに就職し、それと同時に一人暮らしを始めた。
実家との関係があまり良くなく、できるだけ早く家を出たかったらしい。
選んだのは、会社に近くて家賃が安いという理由だけで決めた、古びたアパート。
正直、どこでもよかったと言う。「どうせすぐ引っ越すし」と。
忙しい新社会人生活の中で、自然と彼女ができたそうだ。
年も近くて、会話も弾んで、何より一緒にいて落ち着く人だったという。
気づけば、ほぼ同棲のような形になっていた。
彼女はいつも穏やかで優しくて、Aにとっては自分を誇れる存在だったらしい。
「嫌なことも、疲れも、彼女といれば全部忘れられるんだよ」って、そんな風に話してくれた。
「このままずっと、この部屋で彼女と一緒に……」そう思う日もあったそうだ。
そんなある日、大学時代の親友・タケから連絡が来た。
久々の再会ということで、週末にアパートに遊びに来ることになった。
当日。タケが玄関を開けた瞬間、「うわ、結構古いなここ……マジでここ住んでんの?」と苦笑いしながらも、どこか警戒するような顔をしていたそうだ。
Aは「まぁ、そのうち引っ越すよ。意外と居心地いいんだよ」って笑い返したらしい。
部屋に通して、タケが座ったところで、Aはこう言ったそうだ。
「今、彼女いるんだよ。紹介するわ」そして奥の部屋に声をかけると、彼女が静かに現れて、お辞儀をした。「……はじめまして」その瞬間。タケの顔がみるみるうちに変わったらしい。
驚き、困惑、そして……恐怖。立ち上がって、Aに詰め寄るように低い声で言ったという。
「……お前、ふざけてんのか?」「え? 何が?」「それが彼女なわけねーだろ」
「何言ってんだよ、彼女に失礼だろ」そうAが返したとき、彼女はにこっと笑って言った。
「いいのよ、私は」その笑顔を見て、Aは「やっぱりいい子だな」と思ったらしい。
だけどタケの反応は違った。
彼女の声を聞いた瞬間、顔面が真っ青になって、一歩、二歩と後ずさり……。
「……おい、嘘だろ……?今の……?」震えながら玄関へ向かい、最後には半狂乱のように叫びながら外へ飛び出した。
Aはポカンとするしかなかった。
訳が分からず、しばらく立ち尽くしていたそうだ。
その夜、AのスマホにタケからLINEが届いた。
「お前、マジでヤバいぞ」
「すぐにお祓いに行け」
「お前が彼女だって紹介してきたやつ、ただの――」
「……日本人形だったぞ」
最初は、悪い冗談だと思った。
確かに様子はおかしかったけど、タケも最近疲れてたみたいだし、
就職先もブラックだったとか言ってたし……。
「きっとメンタルやられてるんだろう」そう思ったAは、
そのメッセージを深く気に留めなかった。
その夜も、彼女はいつも通りAの隣で眠っていたという。
静かに、微笑みながら。翌朝。チャイムが鳴いた。
ドアを開けると、タケが立っていた。そして隣には、袈裟を着た住職。
「ちょ、おま……なにしてんだよ?」
「いいから、中に入れさせろ」タケは血走った目でそう言い、住職と一緒に部屋へ上がり込んだ。
そして、住職は無言でお経を唱え始めた。
Aは訳も分からず見ているうちに、突然、部屋の空気がぐにゃっと歪んだように感じたという。耳鳴り。キィンという異音。体が動かなくなり、膝から崩れ落ち、息も詰まり、涙が勝手に溢れてきた。
「なんだこれ……」そう思った次の瞬間、Aは泣き崩れた。
止まらない嗚咽。まるで何かが体の奥から出ていくような感覚だったらしい。
そこから20分ほど、記憶がないそうだ。
意識を取り戻すと、住職が肩に手を置いて言った。
「……もう、大丈夫です」ふと目をやると、そこには、髪の長い日本人形がぽつんと置かれていた。
もう微笑んでいなかった。
ただ、黙ってAの方を見つめていたそうだ。
その日のうちに、Aはアパートを出た。
数日間タケの家に世話になり、その後、一旦、実家へ戻ったという。
私「え?嘘だろ。じゃあその人形がその時の?」
A「あー、うんまぁね、いやでももう大丈夫だよ。住職にお祓いしてもらったし」
Aはそういっていたが、私はとても大丈夫そうには見えなかった。なぜなら、
この話は、私が久しぶりにAの家に遊びに行った際にAが大事そうに人形を膝の上に置き、
まるで彼女と喋るかのような仕草なのを見かねて「その人形、どうしたんだ?」
と問いかけたことがきっかけで、Aがぽつりぽつりと語ってくれた話なのだから。
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